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天職と適職 [My Life]

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こぶしの花が、綺麗に咲いていました。 ちょっとうれしくなった♪
 
 

今日も、独り言ぶつぶつにお付き合いください・・・。 だらだらととりとめもないので、ご容赦くださいね♪

あ、ちなみに写真は『こぶし』の花。 お散歩コースには、色とりどりの花が満開。 コース途中にある公園に咲いていた花で、木蓮?って思ったけど違ったので、写真を撮って調べてみました。 こぶし、名前は知っていたけど実物と名前が初めて一致した! これもちょっと感動。 そして花言葉は・・・色々あるんだけど、とっても心に響いたのは『自然の愛・自らの愛』。 自然の愛を受け止めることと、自らの愛を受け入れることが必要なんじゃないかな~、今のワタシには。 なんだかこぶしの花が愛おしくなりました。


 

最近、 というか、ずーーーっと心の中でくすぶっていたことが、今朝なんとなく腑に落ちたので、つぶやきとして残します。

ワタシね、お金を稼ぐことって、悪いことだなんて思ったことがなくて、むしろ大好き♡ お金大好き。 だって、がんばって働いた対価、でしょ? 自分の努力に見合ったものの現れであり、がんばった分だけ入ってくる。 そしてそれを自分のために使う。 それで世の中回るんだったら、なんて素敵なことじゃない! ってことで、お金に対するイメージ、ものすごく良いんです。 だから、自分自身も『お金に困ることはない』って、漠然と思ってきました。 いつでも、お金がよってきてくれる・・・というか。 これ、本当に実感しているんです。

余談だけど、何かと母がお金に関してはサポートしてきてくれたことは確か。 それは、亡くなったときでさえも。 母の遺産は、いまや大事なジュリーとなり、色々なことをやろうと思ったときの資金となってくれた。 そして、じいちゃん・ばあちゃんのお金。 ほんと、必ずと言ってよいくらい、サポートのために舞い降りてくれるんだよね。 感謝という言葉だけでは足りないくらい。 母さん、じいちゃん、ばあちゃん、本当にありがとう。

そして退職金。 仕事が決まるまでの間、何とかなるくらいはいただけた。 ありがたいこと。 でもこの場合、ワタシががんばってきた分の『対価』なんだよね。 だから、がんばってきた分の『リターン』。 投資とリターン、だよね。 体張って投資したんだから。  全体としても、本当にお金に困ることはなかった。

でね、ずっと燻っていたことというのが、お金を稼ぐ方法と矜持の問題。 信念を貫きたい、でもお金を稼ぐために、それを曲げてでもお金を稼ぐことに疑問を思ってきた。 だから、前職で働いているとき、『ワタシはお金のために魂を売り渡した』って思っていた。 だから、すごく嫌悪感があった。 心を悪魔に渡してまでも、お金を得る自分が、すごく汚いものに思えていた。 だから、何かが違う、ってずっと思っていた。 つい、今朝方まで思っていた。

 



実はね、最近お世話になっているオラクルカードリーディングのヒーラーさんのブログで『モーニングページ』なるものを知り、今月の初めくらいから自分なりに毎日2ページ(ないし1ページ)は、胸のうちをつらつら・・・というか、ぶち撒けている。 ほんと、ブログにはかけないような、ものすっごーーーーく黒いことを含めて、とっても恥ずかしいこともたくさん含めて(笑)、いっぱい書いている。 でもね、そのおかげで、心の中の『澱(おり)』が浮き彫りになるのね。

 

で、今朝、本当にそのことが明確にわかった。

それが、今日のタイトルの『天職』と『適職』。

随分前だったかな? 誰の本だったかな・・・江原さんの本かな? 『天職』と『適職』は相通ずることはない、と。 天職で稼ぐことはできないし、適職に心の神性を求められない、と。 そのときは漠然と『そうだよね~』的な軽いノリでわかったつもりでいた。

で、上に書いた『お金』の話と掛け合わせてみる。 お金を得ることに罪悪感なんて、まったくない。 でもお金を得るために、何でもやっていいのか?! というと、そうではない。 では、ワタシは自分の身も心もぼろぼろにしてまで、お金を得なければいけないのか!?、と。 じゃ、仕事って何? 確かに、今までやってきた、海外を飛び回る仕事ってのは、ワタシの今までの経験から『適職』であろう、と思っていた。 でもだんだん、思い描くものとズレが生じ始めた。 『なんだか違う』って。 そう思い始めたら、そうだと決め付けてしまう。

だんだん、『違う、ワタシが行っていることは違う、違う、違う・・・』って。 どんどん追い詰めてしまう。 理想とかけ離れることに、嫌悪感しかなくなってしまう。 理想像に慣れない自分に絶望する。

そして、動けなくなった・・・。 とさ。

このことを分析してみた。  働いてお金を稼ぐことは、自分を適切に『評価』してもらって得る『対価』であり、それについてはまったく異論はなく、むしろ『激しく同意!』である。 だって、がんばった分お金もらえるんだから、がんばればいいんだよね! お金万歳! ってこと。
では、お金を稼ぐための『適職』に、ワタシは何を求めてきたのか? お金・・・だよね? でもお金じゃないものも求めていた・・・ってこと・・・だよね? 何でもかんでも、適職に求めてきた。 むしろ、適職に<依存>してきた。 これはね、ちょっと理由があるの。

話しはちょっとそれるけど、ちょうど前職に中途で採用される直前に、母が亡くなった。 正社員になることは、母の最期の願いでもあった。 母を理由にするわけではないけれども、 母が亡くなったことをどうしても受け入れられなくて、(今でも未だそうだけど)悲しさ・つらさ・苦しさから逃れるために、ワタシは仕事に没頭した。 残務処理や手続きが色々あるのはわかっていたけど、母のいないあの家にはどうしても居られず、葬儀の終わった翌日、翌々日には、働いていた。 悲しむことを封印した。 一時でも忘れたかった。 だから、仕事に夢中になった。 すり替えたんだよね、今思えば。 

仕事に、適職に、依存しすぎて、あれもこれも、求めすぎた。 期待しすぎた。 それが過度になり、ふとしたときに疑問が芽生え、それが不信感につながり、嫌悪感となり、身動きが取れなくなり、息ができなくなった。

この経験を踏まえると、天職と適職は同じにできない。 これはあくまでも、ワタシの場合だけど、 前職の仕事にワタシはどこかで天職となることを求めていたのだと思う。 天職のようなことができるんだ、と依存していたのだと思う。 

天職、この言葉で今思い浮かぶのはカウンセラー・セラピストの仕事なんだけど、それでお金を稼ぐ・・・と考えると、足りない。 だけど、適職であれば、お金を稼ぐことが目的なので、足りる。 でも適職にやりたいことを求めだすと、ギャップに嫌悪感を覚える。  理想像になれないことに絶望する。 だから、お金を稼ぐことは“良いこと”にするためには適職は『稼ぐこと』だけに徹する。 『天職』は、あくまでも自分の心が欲することで、それで人を笑顔にできるのであれば、たとえ『趣味』といわれたとしても、それでよい。

たった、それだけのこと。 だから、やっと『割り切る』という意味がわかった気がした。


 

めっちゃ稼いだお金を自分のためだけじゃなく、還元することが大事。 その還元するツールとして『天職』であるカウンセリングやセラピーを使えばいいんだ・・・と今気付いた。

気付きの嵐。

決して安売りするつもりもない。 だけど、「今月、いくら足りないから、あと、何人カウンセリングしなければ、家賃が払えない・・・ どうしよう、誰かに頼んで客を回してもらう? どうやったらお金がくるの?」ということに陥りたくない。 こうなると、「天職」ではなくなる。

あまっちょろい考えだと思われるかもしれない。 ただ、本当にやりたいこと、心が欲すること、心が安らぐこと、ってお金と直結させられないと思う。 だって、食べていかなくてはならないんだから。

だから、食べていく手立てはちゃんともち、そして心の潤いは、稼ぎから還元する。 パン屋だって趣味だって言われたっていいじゃないか。 追い詰めてまでやることではないって、今なら思える。 パン作りも、本当に心から欲すること。 自らの手で生み出したものを人に食べてもらい、喜んでもらえる・・・って言うことが幸せに繋がる。 でも、これも適職にしてしまったときのギャップを思うと、やはりそうではない気がしてならない。 だったら、もう少し時間をかけて、『足し引き、掛け合わせて、割り切ればいい』んだとおもう。 これも今気付いた。 人生、ただ『割り切る』のではなく、『足し引き、掛け合わせた上で割る、小数点出てもオッケー』ってことなんだよ、きっと。

だから、お金を稼ぐことは悪くない・・・ってね。 いや、稼ぐことはいいこと! ただし、適職に多くを求めてはいけない。 求めるなら天職で求めよ! とね。

 



カウンセラーやセラピスト一本で天職を適職とされている方々は、本当にすごいと思う。 心のそこから、尊敬いたします。 だけど、おそらく、今のワタシでは無理。 きっと撃沈するのが目に見えている。 だから、今は2本立てで良いんだ、って思う。 そしていつか、そこにもう1個加えて、3本立てでやっていければいいなぁと思う。 もしかしたら、4本にも5本立てにもなるかも知れない!

 

だって、『わらじは何足でも履けばいい』んだから。 本人ができるって思えば、何足だって履けちゃうんだと思う。

だから、今のワタシの方向性はあっているんだと思う。

 

 

なので、今目の前にやってきている『適職』につくチャンスは、どちらを選んだとしてもきっと大丈夫だと思う。 確かに、極端な2社択一。 1つはとある国の機関の仕事で、毎日が英語付け。 いわゆる『日本に居ても海外』での仕事。 しかし稼ぎがちょい少ない。 もう1つはばりっばりの営業の仕事。以前のように、おそらく飛び回っちゃうわけですな。 稼ぎはおそらく前職を超えるチャンスも。 ただ、どうやって自分の時間とのバランスをとるか。 

今思えば、昔のように適職に天職性を求めず、『割り切る』ことがわかった今は、ライフワークバランスをちゃんととることができると思う。 だから、どちらの道に進んだとしても、ワタシの心の幸せはキープされると思われるし、お金はちゃんと回ってくると思う。 年収下がるんじゃなくって、絶対に何とかなると思う。 さ、あとは果報は寝て待て・・・だな。

本当の意味で、寝て待つ。 今はあせりはない。 だから、大丈夫さ~。

 


おまけ。

 

今朝、お世話になっているヒーラーさんからメールを頂き、本当に涙が出た。 そこにかかれた言葉が、本当の意味の『気付き』となり、『セラピスト・カウンセラーがワタシの天職なんだ』って気付いた。  手探りだったけど踏み出してよかったと思っている。 

だから、がんばりますよ。 日々精進します。

 

ちょっと恥ずかしいので・・なかなか公表できませんが・・・ もう少し自信がついたら! 紹介しますね。 セラピストとしての天職の活動を。


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